明渡しとは
賃貸借は、賃借人が目的物を使用してその対価としての賃料を支払い、契約終了時に、目的物を返還する契約関係です(民法601条)。建物の賃貸借では、賃貸借が終了するときには、賃借人は、建物を明け渡さなければなりません。そもそも「明渡し」とは、室内の物品や設備を搬出・撤去し、賃借人から賃貸人に(事実上の支配)を移転することです。一般に、賃借人が賃貸物件から立ち退くとともに、賃貸物件内にあった動産を取り除いて、賃貸物件に対する直接的な支配を賃貸人に引き継ぐことをいうとされています(東京地判平22.12.20)。
なお、室内に物品を残置したままでも、当事者間で明渡しが完了したことを合意して事実上の支配が移転すれば、明渡しとなります(東京地判平25.6.26)。
鍵の返却
建物の場合には、目的物に対する直接的な事実上の支配は、鍵の保有によってなされます。建物の占有移転は、通常、鍵の受け渡しによってなされるものであり、明渡しも、賃借人が鍵を賃貸人に返却することによってなされます(東京地判平26.9.22)。
賃借人が鍵を返却し、物件から退去するとき、管理業者は、物件の現場において、賃借人とともに、建物や設備の状況を確認する必要があります。賃借人の退去時には、管理業者は、必ず現場に立ち会わなければなりません。賃借人の退去時に現場に立ち会うことは管理業者の責任であり、現場での立会いを怠り、郵送、メール、電話、テレビ電話などだけで退去の手続きを行ったような場合には、後日、原状回復などのトラブルが生じ、管理業者が責任を問われることもあります。
退去後の鍵の取扱い
従前の賃借人が退去し、新しい賃借人に賃貸するにあたっては、従前の賃借人が物件を使用していたときの錠は取り外し、新しい錠に交換しなければなりません。
鍵交換の費用は、賃借人が安全に居住できる物件を賃貸する責任を負う賃貸人が負担するべきです。例外として、「賃借人が鍵を紛失して鍵交換を行う場合」や「賃借人からの特別な依頼に基づく場合」に限り、鍵交換の費用負担を賃借人に求めることができます。
また、鍵交換のタイミングは、前の賃借人の退出後に退去後リフォームが終了し、借受希望者に対する案内も終えて、実際に入居する賃借人が決定した後とすることが望ましいです。
使用損害金
賃貸借が終了した後には、明渡しがなされなくても、賃借人に賃料の支払義務はありません。なぜなら、賃料の支払義務は契約に基づくものであって、契約が終われば契約上の義務は生じないからです。しかし、賃借人が無償で目的物を利用することができるわけではありません。契約終了後、明渡し前の賃貸人と賃借人の関係をみると、「賃借人の貸室占有によって、賃貸人が貸室を使用できない」という損害を受けています。そのため、この損害を金銭に換算したものが、「使用損害金」と言い、賃貸人は、賃借人に使用損害金の賠償を請求することができます。この使用損害金の額は、特約がなければ、賃借人が直ちに建物を明け渡したとすれば、賃貸人が自ら建物を利用し、または新たな賃借人に対して建物を賃貸するなどして、受けることができたであろう利益の額としています(最判昭43.11.21)。分かりやすく言えば、使用損害金は、賃料の額です(賃料相当使用損害金)。例えば、元賃借人が、契約終了後、1か月間占有したのであれば、1か月分の賃料相当額(賃料)が使用損害金となり、賃貸人に支払わなければなりません。
使用損害金倍額特約の有効性
多くの賃貸借契約書には、契約終了後・明渡し前の使用損害金について、賃料相当額の倍額とする特約(使用損害金倍額特約)が設けられています。この賃料相当額の倍額の使用損害金を定める特約は、有効です。仮にこのような特約がない場合には、賃借人は契約が終了しても、毎月賃料と同額を支払っていれば、強制執行によって明渡しを強いられるまでは、目的物を使用できることになってしまうため、契約終了後に占有を続ける賃借人に対して、明渡しを促す意味からも、使用損害金を賃料の倍額とすることには、合理性があり、使用損害金倍額特約は消費者契約法に反するものでもないとしています(東京高判平25.3.28)。
自力救済の禁止
自力救済とは、例えば、退去しない賃借人がいたら、貸室の中の荷物を勝手に外に出し、鍵を交換して強制的には入れないようにすることを言います。難しい言葉でいうと、「権利を実現するため、裁判所の正当な手続を経ずに、自らが実力を行使して権利を実現しようとすること」を、自力救済といいます。
私人が、裁判所の手続きを経ることなく自己の権利の実現を認めることは、社会秩序に混乱を招くことになるため、自力救済は違法であり、禁止されています。分かりやすく言うと、上記のように、「荷物を勝手に外に出し、鍵を交換して強制的には入れないようにすること」が横行すると、社会秩序が乱れてしまうため、禁止しているということです。
もし、勝手に鍵を交換しては入れないようにした場合、住居侵入罪(刑法130条前段)、器物損壊罪(刑法261条)、建造物損壊罪(刑法260条)などの犯罪に該当し、民事上の損害賠償義務を負担することにもなります。加えて、マスコミで取り上げられるなどして、社会的な制裁も加えられる可能性もあります(レピュテーションリスク)。「レピュテーションリスク」とは、自社に関するネガティブな評判や噂が社会全体に拡散され、ブランド毀損や企業価値・信用の低下を招くリスクを言います。
違法行為となる事例
- 不動産業者が貸室のドアに期限までに支払いがない場合には賃貸借契約を解除し鍵を交換する旨の貼り紙を2回貼付すること(東京地判平26.9.11)
- ドアの鍵を交換し賃借人を閉め出して、賃料の支払いを促す行為(大阪簡判平21.5.22)
- 鍵を交換して家賃が支払われるまで入居できないようにする行為(札幌地判平11.12.24)
明渡ししない賃借人に対する賃貸人の対応
賃貸人は、賃貸借が解除などによって終了した後にも、任意に明渡しがなされない場合、つまり、賃借人が建物を明け渡してくれない場合、訴えを提起して判決を得るなどして「債務名義」を取得し、「強制執行の手続き」を利用したうえで、権利を実現しなければ(明渡してもらわなければ)なりません。
賃貸借契約書に下記1,2のような特約があっても、これらの条項や書面は無効です(民法90条公序良俗に違反する)。
- 賃料を滞納した場合には、賃貸人あるいは管理業者は鍵を交換することができる旨の特約
- 賃料不払があった後の話合いの結果、○月○日までに、滞納賃料全額を支払わなかった場合には、賃貸借契約は解除され、賃借人は直ちに退去する。任意に退去しない場合には、賃貸人において室内にある賃借人の動産を処分しても構わない旨の特約
賃貸人や管理業者が賃借人に無断で鍵の交換を行うことは、自力救済に当たる違法な行為であり、民事上の損害賠償義務などが生じます。
債務名義とは
強制執行は、債務名義によって行われる(民事執行法22条)。債務名義とは、強制執行を基礎づける文書です。分かりやすく言えば、「強制執行できますよ!」とお墨付きを与えるものです。そして、債務名義には、確定判決、仮執行宣言付き判決、仮執行宣言付き支払督促、和解調書、調停調書、強制執行認諾文言付き公正証書(以下、「執行証書」という)などがあります(民事執行法22条)。
自力救済禁止には例外
「法定の手続によったのでは、違法な侵害に対して現状を維持することが不可能・著しく困難」、「緊急やむを得ない特別の事情が存在する」、「その必要の限度を超えない範囲内」といった要件をすべて満たせば、自力救済も例外的に認められます(最判昭40.12.7)。賃貸住宅の管理において、自力救済が認められるのは、火災、漏水、人命にかかわる事故などの極めて特殊なケースに限られます。
強制執行
強制執行とは
当事者間に法律上の争いがある場合、その争いが裁判となり、判決が確定しあるいは和解や調停が成立すれば、当事者間の権利義務が決められ、判決や調書に記載されます。確定判決や和解調書、調停調書のとおりに義務が履行されれば、権利が実現され、争いは最終的に解決します。
しかし、権利関係が最終的に確定しても、義務者が任意に義務の履行をしない場合もあり、任意の履行がなされなければ、強制的に権利の実現しかありません。そして、権利者の権利を実現するため、国家が義務者に対して強制力を行使する手続きを「強制執行」と言います。
賃貸住宅管理に関し、権利実現のため強制執行が必要な場面としては、「賃料その他の金銭支払義務があるのに支払いがなされない場合」と、「建物の占有者に占有権原のないにもかかわらず明渡しがなされない場合」があり、いずれも、建物内に荷物が残されている場合には、荷物を強制的に外に出し、鍵も新しいものに換えて、出入りができないようにするのが、強制執行です。
強制執行の概要
強制執行は、申立てにより、裁判所または執行官が行います(民事執行法2条)。強制執行の手続きは、民事執行法に定められています。
強制執行は、債務名義が、あらかじめ、または同時に債務者に送達されたときに限り、開始することができます(民事執行法29条1項)。
また、強制執行を行うための債務名義には、執行文が付されている必要があります(民事執行法25条)。執行文とは、裁判所の書記官または公証人が、強制執行をしてもよいことを認める書類です。
明渡しの強制執行
建物の明渡しの強制執行は、執行官が債務者の建物に対する占有を解いて債権者にその占有を取得させる方法により行います(民事執行法168条1項)。債務者の占有を解くというのは、債務者を立ち退かせることであり、動産が残されている場合には、これを取り除いて、債務者、その代理人または同居の親族等に引き渡すことになります。引き渡すことができないときは、これを売却することができます(同条5項)。
執行官は、建物の明渡しの強制執行の申立てがあった場合において、強制執行を開始することができるときは、期限を定めて、明渡しの催告をすることができます(民事執行法168条の2第1項)。
引渡し期限は、明渡しの催告があった日から1か月を経過する日となります(同条2項)。
明渡しの催告をしたときは、その旨、引渡し期限および債務者が不動産等の占有を移転することを禁止されている旨が、建物の所在する場所に公示書その他の標識を掲示する方法により、公示されます(同条3項)。明渡しの催告があったときは、債務者は、建物の占有を移転してはいけません(同条5項)。
上記期限内に明渡しがない場合、執行官は、建物の明渡しの強制執行をするに際し、債務者の占有する建物に立ち入り、必要があるときは、閉鎖した戸を開くため必要な処分をする(鍵を壊す)ことができます(民事執行法168条4項)。
即決和解(起訴前の和解)
民事上の紛争が、訴訟外で当事者同士の話し合いにより、和解が成立したとき、またはその見込みが立ったときには、当事者の一方が裁判所に「和解の申立て」をすることができます(民事訴訟法275条)。これが即決和解(起訴前の和解)です。
和解調書は確定判決と同一の効力
即決和解を申し立てる場合、成立する見込みのある和解調停案を申立書に添付します。和解の期日に当事者双方が出頭して、合意に至れば、和解内容を裁判所書記官が「和解調書」に記載します。和解調書は「確定判決」と同一の効力を有するから、調書に記載された内容が履行されないときは、強制執行の申立てができます。
和解調書に基づいて建物明渡しの強制執行が可能
即決和解の場合は、請求内容に制限がないので、金銭の支払いの請求に限らず、建物の明渡しの請求についても利用されます。したがって、建物明渡しが和解調書どおりの履行がされないときは、強制執行することができます。
和解不成立の場合
和解の期日に当事者が出頭しない場合(民事訴訟法275条3項)、または、出頭しても合意に至らなかった場合には、和解の手続きは終了し、当事者双方の申立てにより訴訟手続きに移行します。この場合、和解の申立ての時点で訴訟の提起がなされたものとみなします(民事訴訟法275条2項)。
即決和解の濫用の禁止
即決和解は、具体的な紛争の解決手段なので、強制執行の債務名義を得る目的で、あたかも紛争があるかのように装って即決和解の申立てをすることは、濫用にあたり、許されません。
申立先の裁判所
即決和解は、訴額にかかわらず、相手方の住所(個人の場合)、事務所(法人の場合)等の所在地にある簡易裁判所に申し立てる必要があります(民事訴訟法275条1項)。